腕時計の社会的意味付けとその時代による変化

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今の私たちにとって珍しくも何ともない腕時計ですが、以前読んだ新聞記事によれば、これが普及し始めたのは明治維新後、日本が清国や帝政ロシアと戦争をしていた辺りの時期だそうです。

その記事によれば日本の陣地を見学しに行った欧米人が、自分たちの国でも携帯用時計が懐中時計から腕時計へと変わりつつある状況なのに、日本軍では皆が腕時計をしていると驚いていたと書いてありました。

この様にその時代では腕時計は最先端の物だったのが伺い知れます。

しかし、現在の日本では少し前まで携帯電話があるので腕時計は不要であると言う考えが普及しました。

今では大人になったら年齢にふさわしい腕時計を身に付けていないと恥ずかしい的な事が言われていますが、しかし海を渡ったアメリカでは腕時計の事をシングル・ファンクション・デバイス、つまり単機能機器と呼んで、たった一つしか機能を持たない機器と見なす若者も増えてきているそうです。

これはスマートフォンやタブレットの普及による影響ではないかと思うのですが、いずれはこの様な若者たちがアメリカ社会の主流となっていくでしょう。

そして日本はアメリカの文化的影響を強く受けてきましたので、将来の日本において似た様な傾向が出てくる可能性があります。

つまり、ちょっと前まで腕時計をしなかった理由が携帯電話があるので不要と言う不要論から、たった一つしか機能が無い"バカ"デバイス、つまりダサいものだからなんて物に変化するかも知れません。

不要論は社会的ステータスを表す装飾具としての側面を強調して対抗できますが、ダサいと言う理由に対しては装飾を前面に押し出した理由では対抗できません。

仮に日本の将来がアメリカみたいになるとしたら、腕時計業界は今後どの様にしてこのダサい論に対抗していくのでしょうか?

興味が惹かれる所です。


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このページは、トキワ荘が2013年10月15日 13:45に書いたブログ記事です。

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